民主主義的アナーキスト「F」氏のブログです。サブカルチャーから社会問題までおっとり刀で書いていこうと思います。


by Mr_F
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冒険

リヤカー引いて5大陸踏破に挑戦「歩いて見える風景を」


5大陸をリヤカーを引きながら徒歩で旅する冒険に、鳥取市の吉田正仁さん(27)が挑む。

 27日に出発し、まずユーラシア、アフリカ両大陸計約2万キロを3年半かけて踏破。サハラ砂漠も歩き通す予定の吉田さんは「歩くスピードだからこそ見える風景があり、出会える人々がいるはず」と期待を込める。

 吉田さんは大学時代、50か国以上をバスや鉄道で旅するうち、「誰でも出来る旅ではなく自分の脚で世界を歩きたい」という思いが募った。リヤカーを引いて世界を旅し、植村直己冒険賞を受けた永瀬忠志さん(52)(大阪市)にも触発されたという。

 会社に勤めて約400万円の資金をため、毎週末に30~40キロ歩くトレーニングを続けた。リヤカーやテントなどの資材は、アウトドア用品メーカーなどから提供を受けた。

 計画では中国・上海から中央アジアを通ってユーラシア大陸西端のロカ岬(ポルトガル)に到達。アフリカ大陸に渡ってサハラ砂漠を横断し、ゴールのリヤド(サウジアラビア)には2012年4月の到着を目指す。南北アメリカとオーストラリアの3大陸踏破はその後検討するという。

 広島、長崎両市の「平和宣言」を持参してサウジアラビアに届けるなど、旅を通じて平和のメッセージを発信したいという吉田さんは「粘り強く着実に歩きたい」と話している。旅先の写真や日記はネット上のブログ(http://alkinist.blog111.fc2.com/)で公開する。

読売新聞



>リヤカーを引いて世界を旅し、植村直己冒険賞を受けた永瀬忠志さん(52)(大阪市)にも触発されたという。

皆さんは冒険家の永瀬忠志さんをご存知でしょうか?


[筆者が語るツボ]…永瀬忠志著「リヤカーマンアンデスを越える」

 昨年、南米チリを出発しアタカマ砂漠を横断、アンデス山脈を越える1000キロの旅に成功した。「リヤカーマン アンデスを越える」(日本経済新聞出版社、1575円)には、その過酷な日々がリアルに記録されている。「こんなとこ来なきゃよかったと思いましたよ」逆境上等、百戦錬磨の冒険家に弱音を吐かせた永瀬版「世界最悪の旅」とは…。

 柔らかい物腰。世界の辺境を制覇してきた歴戦の冒険家といった風情は感じられない。だが、出てくる言葉はとにかく熱かった。

 「安全なところって楽しくない。先が見えちゃうんです。危険なところって、先が見えずに不安になる。でも思わぬものに出会ったり、思わぬことが起きると『やっぱり来て良かった』と思うんです」

 19歳の時、徒歩で日本を縦断して以来、旅にとりつかれている。アフリカ大陸、サハラ砂漠、ゴビ砂漠、アマゾンなどを一人で踏破。その総距離は世界27か国で4万5000キロに及ぶ。しかし、永瀬さんの旅を比類のないものにしているのはリヤカー「田吾作」の存在だ。重量は200キロ超。一歩一歩リヤカーを引いて歩く姿から、いつしか「リヤカーマン」と呼ばれるようになった。

 「人がいない自然の中を行くにはリヤカーが必要。たくさん荷物を運べる安心感がある。リズムを取りながら一緒になって歩く。もう体の一部になっています」

 今回は35日間かけて太平洋岸のチリの港町からアタカマ砂漠を横断し、標高5000メートルに及ぶアンデス山脈を越えた。その道程は、これまでにない過酷を極めたものになったという。

 干上がった塩の湖・アタカマ塩湖は、一面に10~30センチの塩の塊が広がるデコボコ道。気温50度を超える炎天下、リヤカーの車輪の下に板を敷き直しながら歩いた。進めない時はハンマーで塩の塊を砕いた。時間がかかるあまり、水が底をつきかけたこともある。

 アンデス山脈の道中では高山病に。寝ている時に気分が悪くなり、テントを開け何度も吐いた。昼間は30~50歩ほど歩き1度休憩を入れ、息を整える。その間にも、吐き気は襲ってくる。1日に1キロしか進めなかったこともあった。「もう駄目だ」と思う時に、思い浮かぶのが家族の姿だ。

 「母親が『大丈夫だから、見てるからね』と語りかけてくる。子供が道の前に立っているような気がする。『お父さんが来た』と走って駆け寄ってくるんです」

 幻覚を見るような苦しい旅。しかし、そこには大自然が広がり、現地の人との温かい触れあいがある。薄緑のきれいな水をたたえた湖にピンクのフラミンゴが降り立つ。それは「夢の世界、幻想の世界」。そして最大の楽しみは「お風呂上がりの一杯のような感じ」で、日が暮れるころに飲む缶ビールだ。

 「途中でやめていたら、今はなかったなあという時がある。人との出会いであったり、アンデスのようなきれいな自然を見たりすると『よーしまた歩いていくぞ』となる。やめたい帰りたいと思っている時間が99%だとすると、来てよかったなあと思うのは1%。でも、その1%が大きいんです」

 ◆永瀬 忠志(ながせ・ただし)1956年2月15日、島根県生まれ。51歳。78年、大阪産業大工学部卒。大学生だった75年に日本縦断。78~79年、オーストラリア大陸横断。89~90年、アフリカ大陸横断。98年、モンゴル・ゴビ砂漠縦断。2000年、中国ウイグル自治区・タクラマカン砂漠縦断。03~04年、南米大陸縦断。06年、アマゾン縦断。05年に植村直己冒険賞を受賞。著書に「リヤカーマン―地球一周4万キロを歩いた男」など。家族は妻(47)、長男(10)、二男(5)。

報知新聞

http://www.kyowa-ltd.co.jp/event/nagase/index.html

植村直己冒険賞 受賞の永瀬忠志さん来社

冒険家 永瀬忠志さんミリオンタイヤを永年に渡りご愛用され偉業を成し遂げられました。
リヤカーを引いて世界各地を自らの足で踏破され、その距離が地球一周分(4万3千km)に達し植村直己冒険賞を受賞されました!

ミリオンタイヤの永年のご使用に感謝するとともに、偉業を称えようと3月22日当社 本社ビルにおいて感謝状の授与を行いました。

リヤカーおじさん「永瀬 忠志さん」が来社されました。表彰式の前にいろいろとインタビューさせて頂きました。

-田吾作号の由来

最初に中古のリヤカーを買った時、大学の同級生が「いなかっぺ大将(原作 川崎のぼる氏)と云う漫画が好きで、よく読んでいたんです。その漫画の主人公 風大左エ門に親近感を持ちリヤカーの名前を「大左エ門」という名前にしました。
次に世界を歩く時にリヤカーを購入し、大左エ門と兄弟っぽいなと思い「田吾作」という名前にしました。次にリヤカーを購入した時に名前を考えたのですが、いい名前が思い浮かばず「田吾作2号」となり、「田吾作3号」と続いています。

-日本に帰って来て、最初に何が食べたいと思われましたか?

その時、その時いろいろとあるのですが、豆腐、冷奴です。あげれば、いくつか寿司・・カツ丼・・お好み焼きとかありましたね。

 -どこの国が印象に残っていますか?

国というか、サハラ砂漠ですね。自然の中で一人星空に包まれている時が印象に残っています。

 -身の危険など感じた事はありませんか?

身の危険より、食料や水がなくなっていく方が不安でした。

-奥さんは毎回どのような言葉をかけて送り出してくれるんですか?

「ぼちぼち、どこか行けるんじゃないの?」と言われ、家内の機嫌のいい時に旅の話をします。
でも、自分が行きたい時に理解して送り出してくれます。

 -ミリオンタイヤについて

地道や舗装した道、泥道などいろいろありましたが、一本のタイヤで九千キロぐらいもちました。
一度だけ違うタイヤを使いましたが二千キロぐらいでダメになりました。

表彰式の様子

永年にわたり、リヤカーを提供されていた大成車輌株式会社さんにも感謝状の贈呈がされました。

◆永瀬さんから一言◆

旅を始めましてから30年ばかり過ぎました。
19才の時に初めて歩いて日本縦断しようと計画したんですが、その時に荷物が重かったものですから北海道で農家のおじさんからリアカーを買いました。それから世界を見てみたいなぁと思うようになりまして、ゆっくりゆっくり旅は進んでいきます。

リアカーに荷物を乗せて歩いておりますと、いろんな人が声をかけてくれる。人との出会い。世界の見た事のない風景を見たり会った事のない人や文化にふれてみたい!荷物をリアカーにつんで歩きたい!「田吾作大丈夫か?」と声をかけながら旅を続けました。

リアカーとともに、ミリオンタイヤとともに旅を続けさせていただきました。みなさんの会社に初めてお伺いし、みなさんの会社で作ってるタイヤなんだなぁ、と思うとああ、あのタイヤの故郷だったんだなぁ。と思うと愛着がわいてきました。旅の途中ではみなさんのタイヤにはお世話になりました。私の方からもみなさんに感謝したいと思います。

◆編集後記◆

今後も旅は続けていかれるそうです。冒険の話をされている時は本当に笑顔でいろんな国で出会った人との触れあいや動物の話などお伺いしました。「ミリオンタイヤの故郷はここだったんだなぁ」と言う一言がとても印象に残っています。永年の使用に感謝するとともに、これからも永瀬さんの壮大な夢が続く事を応援したいと思います。

 永瀬忠志さんプロフィール

1956年、島根県に生まれる。大阪産業大学卒業後、教師になる。
大学在学中に自転車で日本一周、徒歩で日本横断。
卒業後にはオーストラリア大陸をリヤカー「田吾作号」を引いて徒歩横断。
さらに同じくリヤカーを引いてアフリカ大陸赤道地帯徒歩横断など 世界各地を踏破する。
距離は、4万3千kmに到達し、ちょうど地球一周分(赤道距離)を 超える距離となる。
2005「植村直己冒険賞」受賞。

著書
「田吾作号の冒険(立風書房1982年5月刊)」
「田吾作、アフリカを行く(立風書房1986年4月刊)」
「リヤカーマン アフリカを行く(学研研究社1991年9月刊)」
「サハラてくてく記(山と渓谷社1994年10月刊)」
「アジアてくてく記(山と渓谷社1998年9月刊)」
「リヤカーマン(スタジオワープ2005年5月刊)」

株式会社共和HPより



「人はいずれ、歩けなくなる日が必ず来る。

私はその日まで、この足で歩いていたい。」


冒険家、永瀬忠志さんの言葉で最も印象に残っている。


見たことのない場所を、歩いてこの目で見てみたい。それがリヤカーを牽いて冒険をするようになったきっかけだそうだ。

「そこに山があるから。(Because it is there.)」

とは人類初のチョモランマ(エベレスト)制覇を目指した冒険家ジョージ・マロリーが新聞記者のしつこい質問に答えた言葉だが、ジョージ・マロリーは生還する事はなく、チョモランマ登頂へのアタックで行方不明となり、未だ登頂が成功したかは不明である。
(遺体は1999年にチョモランマの標高8160m付近で発見されたが、登頂途中なのか登頂帰路なのか不明であり、登頂の成否は確認できないまま。)



その足で歩いて、その足で歩いて還る。

それが冒険であり、それが人生だ。


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by Mr_F | 2008-12-20 20:19 | ニュース